Parallel World A.A.

沈みゆくタイタニック号に残ってもらうよう説得するとき、何といえばいいか。相手がアメリカ人なら「ヒーローになれる」と言えば残ってくれる。相手がイギリス人なら「君はジェントルマンだろう」と言えば残ってくれる。では、相手が日本人なら・・。(注)

(注)島田雅彦『楽しいナショナリズム』(毎日新聞社、2003年)より

欧米人が好きそうな小話の答えは最後に書くことにして、この話から思い出す事件がある。

もうずいぶん昔のことだが、知り合いのポーランド系アメリカ人から、日曜日の朝、ちょっと頼みたいことがある、と電話があった。あるパブで、まだ若いポーランド人がダンサーとしてたくさん働かされている。彼ら、彼女らは劣悪な住環境で暮らし、安い給料しか支払われず、女性ダンサーは客の接待をさせられている。そして、そのうち男性ダンサーだけが、今日また日本の別の場所に移されるらしい。彼らを救うために、迎えに来る業者と交渉したいので通訳をしてほしい。そういう内容だった。

困ったことになったなと思いながら、僕は、業者とそのアメリカ人との間に入って通訳をし、長い長い交渉の末に、とりあえずその日に男性ダンサーが別の場所へ連れていかれることを阻止することができた。業者はまた別の日に別のものを連れてきて話をしたいと言う。さてどうするか。別のものって、ひょっとして怖い人?

日本滞在歴1年くらいのそのアメリカ人は、すぐにでも裁判をおこしたいと言う。実はポーランド人ダンサーの契約書が2種類あり、書いてある給料の額が違う。これは明らかに違法だと思うので、裁判をしたら絶対に勝てるはずだと。

僕は彼に、アメリカと違って、日本で裁判を起こすには、途方もないお金と時間と労力がかかることを説明した。また、知り合いの裁判官に聞いて、契約書が2つあっても、両方に両者が納得してサインしている場合、直ちに違法とは言えないことを確認して彼に伝えた。同時に、日本語のできない外国人のための法律相談を紹介したりもした。たぶん、彼の思い通りにはいかないのではないかなと思いながら。

しかし、結論から言えば、その後、彼は全てをひとりで解決してしまったのである。たったひとりで何時間にもわたって業者と交渉し(業者は英語の話せるものを連れてきた)、男性ダンサーが別の場所に移されることを阻止しただけでなく、彼らの給料を2種類あった契約書のうち高い方で全額支払わせ、パスポートを業者から取り返し(何と業者はダンサーたちのパスポートを取り上げていた)、彼ら全員をポーランドへ帰国させることに成功したのである。

彼に聞くと、とにかく契約書通りに仕事をさせていないことを追求したのだと言う。具体的には、女性ダンサーに客の接待をさせていたことなどを公にしてもいいのかといったことで、ゆさぶりをかけたとのこと。想像だが、業者の方は、問題が大きくなることをおそれたのではないかと思う。

そう言えば、最初の交渉の時も、彼は僕に全てをメモするように言い、発言内容に間違いのないことを業者に認めさせて署名させようとしていた。きわめて論理的かつ合理的に相手を追求するのである。

言葉の通じない国で、法律だけをよりどころに、たったひとりで他人のために戦った彼に、僕は少なからず感銘を受けた。周囲の状況がどうであれ、他人が何といおうと、ためらいなく自分の信念を貫く彼を尊敬した。

そんな彼に比べて、僕の方はといえば、日本のアンダーグラウンドな世界にいると思われる業者を前にして、半分腰が引けていたことを白状しなければならない。今でもこの事件を思い出すと、苦い感情がよみがえってくる。どんなことがあっても、少なくとも逃げてはいけないときがあるのだということを、アメリカ人の彼に教えられたような気がした。

ところで、最初の小話の答えだが、沈みゆくタイタニック号に残ってほしいと説得するとき、相手が日本人ならなんと言えばいいのか。

答えは「まだみんな残っているぞ」。

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