Parallel World A.A.

悟り

若いころに、悟りをひらくということに憧れた時期がありました。いわゆるニューエイジの考え方に共感して、セミナーにかよったりしていたころのことです。いろんな体験をして、何か自分の人生が大きく開かれるような感覚を味わったり、悟りに近づいたかなと思ったりしたこともありました。

でも、そのうちに、あまり考えなくなりました。なぜかというと、悟ったような気になっても、持続しないからです。持続するのに努力がいるのは、本当の悟りではないような気がしました。そうして、少しずつ興味をなくしていきました。

でも、そのうちに、こう考えるようになりました。それは、人は誰でも、特別なことをしなくても、年齢をかさねるにつれて、悟るようになるのではないかなということです。

今日、いつものように、スケッチブックを持って、吉野川を散歩しました。今日は、あまり天気が良くなかったので、風景がいつもと違って見えました。いつもと違って感じられました。風が全くなくて、いつもなら逆光でまぶしく輝いている水面が、今日は不気味に静まりかえっていました。水が透きとおっていて、ずいぶん先まで深い川の底を見ることができました。

そして、いつもより深く自分の内側へ入っていくことができました。

僕はこういう時間を過ごすのが、とても好きです。自分の体を感じ、風景を感じ、地球を感じます。もう20年近くも前、一人でオーストラリアを旅行したとき、砂漠の真ん中にあるエアーズロックという一枚岩に登って、360度、500キロ先の地平線を眺めたことがあります。そのとき、ある種の浮遊感というか、体が離れていくような感じを味わいました。でも今では、それとほとんど同じような感覚を、家のすぐ近くでも感じることができるのです。

たぶん、少しずつ、悟りに近づいているのだと思います。

冬の晴れた日に、テラスで本を読む時間が、途方もなく素敵に感じられたり、妻とククと3人?で、たわいのないことを言いながら食べる夕食の時間が、最高に楽しかったりします。密度の濃い時間を、日常の中で味わうことができるのです。

おそらく、少しずつ、悟りに近づいているのだと思います。

急がなくてもいいのです。若いうちから悟ることをめざさなくても、ほうっておいても悟れるのです。

そう考えると、年を取ることは、そんなに悪いことではないような気がしました。

<絵:吉野川#7>

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