Parallel World A.A.

瞑想

10日間、正確には9日間、他人といっさいコミュニケーションをとらないという体験をしたことがあります。もう10年以上昔のことです。会話、電話、手紙、読書などはもちろんのこと、人と目を合わることもしないで、9日間を過ごしました。

その頃、僕は瞑想に興味があって、ビルマに古くから伝わるという瞑想のセッションに参加したのです。

詳しいことは忘れてしまったけど、2つの興味深い体験を、今でも憶えています。

その一つは、人とのコミュニケーションをしないでいると、どうなるかという体験です。僕は、どちらかというと一人でいるのが好きな方なので、最初は全く抵抗がありませんでした。むしろ、ひたすら一人で自分の内面を見つめるということに、楽しさを感じていました。

でも、4日目から5日目にかけて、ある種の寂しさにおそわれました。もう「一人がいい」とか「一人でいるのが好き」なんて絶対に言わない、と思ったくらいです。たまたまセッションがあったのが、クリスマスからお正月にかけてだったので、余計にそう思ったのかもしれません。夜も眠れなくなるくらい寂しくなりました。体の調子もおかしくなりました。

でも7日目くらいには、それも収まって、深くふかく自分の内側への旅を続けることができました。

9日目のセッションが終わると、朝の10時頃に鐘が鳴らされて、その音を合図に話をしていいという約束になっていました。そして最後の一日を参加者と一緒に過ごして、体と心を日常になじませてから、社会に復帰(!)するのだと聞かされていました。

カーンという音とともに、みんなそれぞれのペースで室外へ出て話を始めました。最初はゆっくり、それから次第にざわざわと、穏やかな春の訪れみたいに、みんなの会話が始まりました。そして最後には、うるさいくらい大きくなっていきました。

僕もしばらくは室内にいたのだけれど、外へ出て、一言しゃべったとたんに、話がとまらなくなりました。日本人は数人しかいなかったので、英語でひたすらしゃべり続けました。体験がおもしろかったので、みんな情報交換したかったのかもしれませんが、とにかく堰を切ったようにおしゃべりをしました。

それほどまでに、コミュニケーションを求めることが、とても新鮮でした。

10日間のこのセッションで憶えている、もう一つの体験は、6日目に突然、訪れました。詳しくは説明できないのですが、要するに体が溶けるようなエクスタシーです。言葉で説明すると、自分の体が、猛烈な勢いで動き回る細かな粒子の集まりになったような感覚です。僕の体がなくなったのかと思って少し怖くなりました。終わった後で聞いてみると、ほとんどの参加者が体験しているようでした。

ただ、セッションの指導者は、そういう体験を求めてはいけない、と何度も注意していました。もちろん、そういう体験がこの瞑想の目的ではないからです。そういう体験を求めることは、心をピュアにするという瞑想の目的に反することなのです。幸いなことに、そして少し残念なことに、僕について言えば、その体験は6日目にたった一度、訪れただけでした。

あれから10年以上たった今でも、その体験の片鱗のようなものを自分で起こすことができます。でも僕は注意をきちんと守っていて、そういうことを目的に瞑想をしようとは思いません。

偉いでしょう。

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