Parallel World A.A.

留め金

就職してすぐの頃、どうしてこんなことをしないといけないのか、と思う仕事が一つありました。僕の価値観に反する仕事と言ってもいいかもしれません。やらなくてはいけないとわかっていても、気が進みませんでした。でも仕事なので、しないという選択はあり得ないだろうと判断して、結局きちんとその仕事をこなしました。

ただ、その仕事をしたことで、僕は何だか、留め金がひとつ、大きな音を立てて外れたような気がしました。

そして、次に自分の価値観に反する仕事が回ってきたとき、気は進まなくても、前よりはずっと迷いなく、仕事にとりかかることができるようになっていました。

そうやって、留め金は2つ、3つと外れていきました。

ただ、それでも20代の頃は、留め金を外すことに躊躇することもあって、いわゆる上司と呼ばれる人と言い合ったことも何度かありました。嫌な思い出ですね。

今では、迷いさえ起こらなくなって、仕事は仕事、僕は僕、と割り切るようになりました。ある種の仕事をするときは、自分の価値観を別の場所に移しておいて、ダミーの自分に仕事をさせているような感覚を持つことがあります。もちろん、一部の仕事がそうなのであって、全てがそうだというわけではないけどね。

ときどき僕は、一番最初の留め金を外さなかったら、どうなっていただろうと考えます。そして、そのまま一つの留め金も外さずに歳を重ねていったら、いったいどうなっていたでしょう。他の人が何とも思わないでやっている仕事を、僕だけが拒否しながら働き続けることは、難しかったかもしれません。

そういう人生にあこがれる時もあります。僕以外の世界中の人が全て反対しても、僕は絶対にこうする、というような人生です。いっさい留め金を外さないで、自分の価値観を全て押し通して矛盾なく生きるという選択です。少しでも、いやだな、と思うことは一切しないという潔い人生です。

ただ、僕はそういう人生を選択しません。もちろん、できるなら、留め金は外したくありません。でも一方で、少しくらいは外しておいた方が窮屈でなくていいと思うからです。

言い訳かな。

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