Parallel World A.A.

つながらない記憶

人と会って帰る途中に、ちょっと時間があったので、吉野川の川原へ降りてスケッチをしました。空気が澄んでいて、空が高く、遠くまでピントの合っている風景を眺めていると、何か昔の出来事を思い出しそうな感じがしたので、しばらくのあいだ、つながらない記憶をたどってみました。

記憶というのは物質であって、一度でも物質化された記憶は全て脳の中に残っているという考え方があります。忘れるというのは、要するにアクセスできないだけで、記憶は残っているという見方です。もしそうだとすると、脳の中にあるハードディスクの容量は、とても大きいのでしょうね。目的のファイルを探すのに苦労するわけです。そして、記憶力のいい人というのは、優秀な検索ソフトを頭の中に持っているということなのでしょう。そう考えると、ひょんなことから昔の記憶につながったりする理由が理解できます。

今日も、風景を眺めていると、何かひっかかるものがあって、それを思い出そうとしてみたのですが、結局、具体的な出来事につながることはできませんでした。子どもの頃を過ごした家に「北の洋間」と呼ばれていた部屋があって、そこに置いてあったステレオのイメージが浮かんだのですが、それが何を意味しているのかは、よくわかりませんでした。

ほわっとした雰囲気だけが頭の中を漂いました。

僕には、こういうことがよくあります。

少し前には、毎朝、歯を磨くたびに、八丁堀という街の風景を思い出していました。理由はこうです。学生時代に、僕の親友が、同棲していた彼女との婚約を破棄して僕の家に逃げ込んでいたとき、自慢の歯ブラシを持ち出してきて、ここを押さえて磨くといいんだとかなんとか説明をしてくれました。こんなときにそんなことをと思ったけれど、彼はとてもお金持ちでハンサムで現実離れしたところがあって、毎朝、貧乏な僕は、彼と一緒にモーツアルトという喫茶店へ行ってモーニングをごちそうになっていました。そのモーツアルトのあった街が八丁堀というわけです。こんな話はたぶん他の人には全く無益な話ですね。

記憶がつながったときは、まるで糸をたぐりよせるように、次から次へと出来事の映像が思い浮かんできます。時には、つながった記憶をもとにして想像の世界がどんどん広がっていくこともあります。とても楽しいひとときです。そうやってしばらく心を遊ばせます。

心を遊ばせることは、体を遊ばせるのと同じくらい楽しい、いとなみです。

<絵:鉄橋>

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