Parallel World A.A. |
気恥ずかしい 気恥ずかしい思いをすることは、ありませんか。 例えば、目上の人に、お辞儀をしないといけないとき。嫌というのではないけれども、楽しいものでもない。単に恥ずかしくてできないというほど、子供でもない。そんなときに気恥ずかしいという言葉がぴったりきます。 実は、僕にはこの気恥ずかしい感じを味わうことが本当にたくさんあります。 例えば年賀状、お歳暮、お中元、冠婚葬祭・・。嫌というのではないのだけれど、気恥ずかしくて避けています。年賀状もずいぶんと出していないし、結婚式も断れるときは全て断っているし、要するにできるだけ避けていたいというような感じがあります。昔、年賀状の返事を出さないでいると、親友から「いつになったら年賀状がくるのだ」と冗談交じりで再度絵はがきが届きました。全く申し訳ないのですが、特定の人にだけ出すというわけにもいかないような気がして、それに本当に怒ったりする人はまずいないだろうという楽観的な見込みもあって、今年も一枚も出しませんでした。気恥ずかしくて。 そう言えば、学生の頃は父親と話をすることも、とても気恥ずかしかったのを覚えています。いわゆる「親父と一緒に酒を飲む」といったことが、嫌というのではないけど、気恥ずかしい。もちろん、今はそんなことなくなりました。 職場でも、男同士で飲みに行ったりするのが、それなりに楽しいけれど、気恥ずかしい。集団で行動するのは、もっともっと気恥ずかしい。 今では、ずいぶんと大人になったので、仕方なくそういう場面に遭遇しても、ちゃんと楽しめるようになりました。自分が楽しめばいいのです。気恥ずかしい状況を作っているのは外側の世界。自分が楽しいように世界を解釈すればいいのだと気がつきました。もっとも、いつもそんなにうまくいくわけではありませんが。 こんなことを書くのも、やっぱり気恥ずかしいですね。 <絵:土手> |
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