Parallel World A.A.

吉野川

家の前を吉野川が流れています。

僕がとても小さい頃には、川原に自分の家の畑があって、そこでよく遊んでいました。藪に覆われた場所や溜まりのようなところなど、一人で踏み込んでいくのはちょっと怖いなといった場所もありました。

もう少し大きくなると、毎日犬の散歩に行きました。高校生の時に初めて一眼レフのカメラを手にしたとき、写真を撮りに行った場所も吉野川です。

県外で7年ほど生活をして帰ってきたときも、吉野川は同じように流れていました。でも、その頃の僕は、ふるさとの風景にほとんど関心がありませんでした。

結婚してまた別の場所で7年を過ごし、最近、同じ場所に家を建てて、帰ってきました。久しぶりに帰ってくると、川原は整地されて公園とサッカー場になっていました。広さは昔と同じなのですが、探検するような場所はもうありません。全く別の場所に来たみたいな感じでした。でも僕は、この広々とした何もない空間が大好きです。

引っ越してすぐに、近所のスケッチに出かけました。何十年ぶりかで歩いてみると、小学校への通学路でもあった近所の風景は一変していました。高速道路や大型小売店やパチンコ店が視界を遮ります。それでも吉野川の堤防に沿って歩いていくと、昔ながらの鎮守の森や大きな屋敷が残っていて、まるで別の世界に迷い込んだような錯覚に陥りました。昼下がりの太陽が心地よい、夏の終わりの日のことです。

しばらく歩いて堤防を越えると、やはりそこにも巨大な吉野川が流れていました。午後の太陽がみなもに反射して、じっと見ていると、そのままどこか別の世界に行ってしまいそうです。周りには人影一つなく、ただ堤防を走る車の音が聞こえるだけ。空はどこまでも青く、堤防の草は緑に輝いています。こんな素敵な場所が、家のすぐ近くにあるなんて、何だか不思議な感じがしました。

yoshinogawa要するに主観的な感受性の問題なのだと思います。美しい風景がそこにあるのではなくて、美しいと感じる自分がいるだけなのでしょう。子供の頃には、そこが美しい場所だとは全く気付いていなかったのです。

もったいないですね。

<絵:吉野川>

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