月夜見 】     
      



 夏から秋にかけて、イーストブルーではしばしば嵐が発生する。
それは毎年のことで、海の只中で嵐に翻弄されることの恐ろしさを知る船乗り達は嵐の発生を知れば即座に待避を開始する。
それは、海賊船だろうと商船だろうと海軍の船だろうと変わらない。

 陸に住むもの達もまた、避難はする。
だが、定住する民の場合、避難するにも自ずから限界はある。

 嵐をやり過ごして戻ってみれば、尚国は惨憺たる有様だった。
収穫間近だった砂糖黍畑は壊滅に近く、榕樹の林は軒並み薙ぎ倒され、嵐に備えて作られているはずの家屋すらあちこちで倒壊していた。

 港も荒れ果てていたが、辛うじて船を着ける余地はあった。
聞けば、帰ってくるもの達があるからと嵐が去った直後から整備を急いだとのこと。





 目の下に盛大なクマを作った元王様は、それでも陽気にシャンクス達を迎えた。

「無事で良かった、赤髪の」
「良いところに戻ったの。今宵は月見だ」

「弔いも兼ねている」
「……」
「…年寄り達が多く死んだ。託された者達を守ろうとして――」

 守ろうとして――それは、守りきれなかった者もいるということだ。

「送ってやってくれ」

「主が送ってやれば、皆迷うことなく後生に行けるであろうよ」



 その夜、赤髪海賊団の面々は、最小限の人員だけ残して、船を下りた。
酒場へ。はたまた娼館へ。
家族持ちの男さえ、貯めこんだ仕送りの袋をほどき、ありったけの金を持って、島中に散っていった。
なけなしの品を揃え、精一杯着飾った女達に金を落とすために。
ともに、生き延びたことを祝うために。



 尚国の月見は、いたって素朴なものだ。
よく開けた丘、或いは浜、或いは岬。視界を遮るものがなく、近在で一番月がよく見える場所に座を設え、酒や食べ物を持ち寄る。子ども等のための甘い物も欠かせない。
 そして何より欠かせないのは、楽器であり、歌である。月の光に酔いしれ、人々は歌い、奏で、舞う。今年の収穫と収穫をもたらしてくれた神々や祖霊に感謝し、来年の豊作をも祈念して。

 嵐は、大気中のゴミも吹き払っていく。
星の一つも見えぬ空はただただ黒く、それを背景に浮かぶ月は、途轍もなく大きくくっきりとしていた。






 
 白々と明るい月の光の下、影が二つ。
 一つの影はふらりふらりと彷徨い、もう一つの影は少し遅れて、文字通り影のように付き従う。
 漂うように歩き回り、シャンクスは行き会った先の月見にはすべて加わった。
顔見知りの島人達は通りがかったシャンクス達を素通りはさせず、乏しい酒を躊躇無く勧めた。
平素なら飲み過ぎをいさめる副船長も、今日ばかりは止めなかった。
粗末な酒や餅が並ぶ中、唐突に混ざった豪華な酒瓶は尚家からの下賜品だった。
前国王が自ら運んできたという。
シャンクスは満遍なく手を出し、島人の歌う歌をまねて歌った。
いつもより枯れた声が、それでも器用に島唄を歌う。
その声は違和感なく月見の宴に混じって空に流れていった。

 昼にまがうと言っても言いすぎではない程に十五夜の月は明るく地上を照らす。
木々のほとんどは嵐に薙ぎ倒された今、伏して風をやり過ごした草だけがそこに残っている。

 遠くから微かに歌声と楽の音が聞こえてくる。
 夜を徹して続くという尚国の月見の宴も、さすがに終わりを迎えようとしているらしい。月の位置は高いとはいえ西。まもなく宵の明星が瞬きを始める頃合いだ。



「月に何かがいるって考えるのは、どこの国でも同じだな」

「でもって、満月を楽しむってのも大体共通してるよな。
月見ってのは元々は収穫の祭りなんだっけ」
 大体と言ったのは、一部月を忌む民族もあったからだ。
ここは正鵠を期さないと、いささか不機嫌そうな副船長になんと突っ込まれるか、お気楽船長にしては深謀遠慮を巡らしたつもりだったのだが。


「ああ、嵐の後に開く宴じゃないな。どう収穫を寿ぐつもりなのだか」
「いいじゃんか、生きて今夜の月を見ることができたことを祝えば」

「この後に、次の嵐が来ないとは限らない」

「もう、おまえってば、どうしてそうマイナス方向に考えるかねぇ」

「参謀としては最悪の事態を考えておくべきだろう」

「参謀としては、な。けど今のおまえは参謀じゃないだろ」

 月の光をも弾く勢いでシャンクスは向き直る。





 満月の光は明るい。そこでは、風景もまた日中とは違う顔を見せる。
熱を持たない月光が注ぐ先にはくっきりと象られた諸々とそれらが落とす影があり…

 つ、と副船長は船長との間を詰めた。伸ばした指の先が触れる距離まで。
それでも船長は振り返らない――
 なおも進み、船長の背にほとんど張り付く。
ほんの数センチの距離。ひんやりとした夜気の中、船長の熱さえ直に伝わってくる。
ベン以外の誰にも許されない、許さない距離だ。

「どうした?」

 あんたが黒に消えてしまいそうで……

「なんだ、怖いのか」

「ああ、怖い。あんたを影の中に取られてしまいそうで」
「心配しなくても、おまえ以外の“黒”に染まる気はねぇよ」
「心配なら、ちゃんと触って確かめてみりゃいいじゃん、ほら」




 俺は、ここにいるだろう?

 すっと伸びてきた一本の腕が、ベンの頭を抱く。

 その温もりの中、なじんだ匂いに包まれて、ベンはほっと息をついた。
大丈夫だ、彼はここにいる――

 ……俺は、あんたを望むことで、この世にあるという感じることができた。
たとえあんたが迷惑だと思おうと、あんたが要る。


 そう言えるんなら大丈夫さ。
そう言ってるおまえは、間違いなくおまえなんだからな。
 実感あるだろ。生きてるって。

 ああ、いやというほどにな。

 この男の姿を見、この男の声を聞き、この男の体温を感じれば、心も体も、どうしようもなく昂揚する。









「誰より利口で勇敢で、けど誰より臆病で小心な俺の“副”官」

 おまえは、いつだって確かめていいんだぜ。

 ほら。

 珍しくきっちりと留められていたシャツのボタンが、片手だけで器用に外され、ベンの手首がその中に誘い込まれる。

 見せてやろうぜ。先に逝っちまった奴らに。

 耳殻に舌を乗せ、誘いかける。

 一瞬躊躇して、けれど、この腕とこの声に逆らえたことなどないのだ。
ベンは、薙ぎ倒された草の上に胡座をかき、その中に船長を迎えた。

 月を後ろにして、鮮やかな赭のはずの髪さえ、半ば色を失って鈍い銅色に沈む。
 髪のかげにシャンクスの面も隠れる。けれど、その口元が歪むのは苦痛故ではないと分かる。






 時に遠くから声が響いてくる。低く長く慟哭の色濃いそれ。

「哭き歌だよ。逝っちまった奴らへの弔い歌だ」
 そうして送り出すんだ、逝ったもの達を。

 シャンクスは遠くを見やる。
今回の嵐で喪われたもの達には、シャンクスが親しくしていた老人や子ども達もいた。


 ――てめえが先になんて逝きやがったら、俺一人で弔い歌歌って送ってやるからな。

 この場合、歌は言葉通りの歌でないことは明白で――

「――地獄の門をくぐっていようと戻ってくるな」

 ベンには、それしか選択肢はあるまい。







 その夜月の光の下歌われた送り歌は、はたして死者を安らかに眠らしめたものか……
 少なくとも、副船長には安眠は遠い。







2005.9.25



 今回のタネは『ごんぎつね』(新美南吉)と『哭きうたの民族誌』(酒井正子)と『カミング・スーン』(宇崎竜童)。
 台風やハリケーンの季節に、いささか不謹慎な話で、すみません。
 でも、シャンクスは「一滴の涙の重さ」(『カミング・スーン』)を知っている人だと思うのですよね。その上で、冷酷にもなれる人。その点で、王サマと分かり合えるんだろうなぁ。
 んでもって、影を踏み踏み後ろについて行く副ちゃんが、こーいぢらしくて。なんか長くなってしまって。収拾がつかないので、とりあえずさわりだけアップします。



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