【 たゆとう 赤 】     
      





「お頭、水を持ってきました」

「サンキュ」
 赤髪の船長殿は寝台の上、ほとんど裸と言っていい格好で部下を迎えた。
 サッシュをほどいたままなのでズボンは腰のところで引っかかっているだけ。
上半身にいたってはシャツを左肩に羽織っているだけだ。
常に傍らにいる副船長の姿は、無い。それはネウマにとって吉か凶か――






「残ってた果物つまんだら、指がべとべとでさぁ」
 なんか、痒くなるし。あいつも気が利かないのな、
手洗いの水くらい用意しときゃいいのに。

 寝台に俯せに寝転がるという放恣な体勢のまま、
顔だけ上げて文句ともつかない文句を赤髪は言う。
立ち上がらないということは… 動けないということなのだろう。

 ネウマはボウルの水に浸していた布を絞る。
無防備に差し出された赤髪の手を取り、手首から指の間まで丁寧に拭う。





「気持ちいい」
 赤髪は目を細める。
腹這いになったままなので、その顔の下半分は枕に埋まり、発音も不明瞭だったが、
細められた目元をみれば、彼が満足しきっているのが分かる。
満腹した猫のごとく。喉を鳴らさないのが不思議なくらいだ。



    

「サンキュ、ネウマ」

「…いいえ」
 赤髪に呼ばれると、身が震える。



「どうだ、大事なもんてのは見つかったのか」


「はい…」
 己は、これほどに未練がましい性質だったのかと自分で思う。
出会いから三年も経つというのに、ネウマの心は、赤髪に囚われたままだ。





「ネウマ」

「…はい」

「この船は、ンなうるさくねぇ」

 確かに。これだけの規模の海賊団にしては規律は緩い。
いや、規律自体は厳しいが上下関係に関してはうるさくないのだ。
 そもそも規律にうるさい海賊などいないともいえるのだが、
それ以上に頭たる《赤髪のシャンクス》の性向を反映しているのだろう。
格好を付けることもなく部下に“醜態”を晒すことも気にしない……
 今も、自堕落極まりないポーズながら、部下のメンタル・ケアを実施している。


「無くしものを探すにゃ向いてる」
 ここで探すといい。
陸の雑音に邪魔されないところで。
お前に必要なもの。おまえが欲しいもの。






「無くしたものなど…」

 有りはしない。持っていなかったものを無くすことなどできない。



「あなたさえいれば」
 言う代わりに伸ばされる手。
その手は、だが、シャンクスの手前ほんの数センチという所で止まる。
赤髪の赦しを待ち侘びて白くなるほど握りしめられたまま。
 言う代わりに無造作に投げ出された足、少し反った親指に唇を寄せる。
触れる、ことはない。溜息のように漏らされる吐息。





「仕様がねぇなぁ」


「来な」

 赤髪の手が伸ばされる。
それはネウマの髪に触れ、いっそ優しくネウマの頭を撫でる。
 己の持ってきた水で清められ、ひんやりとした赤髪の手――
ネウマの知る限り唯一つである右手を、ネウマは恭しく押し抱く。
 硬い手。五本の指に向かって真っ直ぐ伸びた骨の上に筋肉がうねる。
片手で太刀を振るう手だ。当然、節は太い。
不似合いに短く揃えられた爪は、副船長のため、なのだろう。
 あの男は、どんな顔をして、どんな風にこの手を取るのだろうか……
 赤髪の船に乗って早三年。
その体に触れる機会など、ほとんど無い。
時に悪ふざけした赤髪がネウマの背を叩くことはあっても
ネウマの方から触れることは決してない。なのに……



 どこが違うのだろう――
優しかった女達と。
それなりに美味くやっていた仲間達と。
――この人の手は、特別だ。狭い中指と人差し指の間をたどっていくと、
己の喉が干上がっていくのが分かる。
“赤髪”を感じ居全身の細胞がざわめき立つのが感じ取れる。
獲物の“血”を前にした伝説の魔物も、こうなるのだろうか。
理性などでは制御できはしない――




「それ以上はやるなよ、副が拗ねる」


 もとより承知の上だ。
あの聡い副船長がネウマの気持ちに気づかないはずはない。
いつもいつも、赤髪の“左”にいるあの男。
覚えのある色で赤髪を見ている男。いっそ慕わしくさえある目でもって。
 直接に何か言われたことこそないが、
彼がネウマの思いに気づいてないはずはない。



「しっかし、
おまえといい副といい、どうして他人に自分を預けようとするかなぁ」




 嫌がっているのではない……
けれど、しみじみとしたその声がネウマの心臓を抉る。
分からない…… 
赤髪には決して分からないだろう。
……いや分かっているのかもしれない。
この人は。その人間離れした直感で、全て知っているのかもしれない。
ネウマの怖れも不安も何もかも。


 けれど――

 分かっていても、どうにもならない―― 
シャンクスはネウマではない以上。


「……あなたを見ていたい。あなたと同じ船で」

「ンなん、当然だろ」
 微塵の迷いもない声。


「俺たちは同じ海賊団なんだからな」




 違う、違う、そういうことじゃない。
 けれど、そうだ。
触れないことによって、赤髪は永遠にネウマのものだ。
それは、副船長にはできないことで。許されなかったことで――


 ネウマ自身にも分からない。
 副船長を羨んでいるのか、いないのか――
 赤髪を手に入れたいのかどうかさえ――
 ただ、離れられないと思うだけ――



誰かが言っていた言葉が甦る。

「眠ってるうちに見るのが夢の欠片なら、
覚めて想う夢は、永い永すぎるときめきの物語なのさ」



 そいつは、こうも言ってなかったか……


 覚めて見る夢のほうが、よっぽどタチ悪いぞ。
昼も夜も。どこにいても離しちゃくれない。



 決して終わることはないんだ……









2004.4.10






マンジャリその後0406
「Manjari」直後のストーリー。

DAWN VALLEYの檀さまからいただいた
「神に給いし無敵の男」の三年後のお話でもあります。
いただいた「神に給いし無敵の男」を眺めているうち、
「この後、彼=ネウマはどうしたのかしら」なんて思ってしまって。
赤髪海賊団に居着いた後の彼をメインにしました。
 でも、ちと混乱したものに… 
凄絶に不幸なのか、この上なく幸せなのか、ネウマ自身判断しかねてるようです。
「たゆとう」を漢字で書くと「揺蕩う」です。
漢字のイメージに影響されてます。
だって、お頭に似合いそうで、うっとり〜



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