【空からくるもの】     
      





「暖まるまでじっとしてろ」
 そう言って冷え切ったシャンクスを湯船に投げ込んだのはベンで、
けれどその言いつけを破ってしまったのもベンだった。




 ノース・ブルーのどこかならば、雪など珍しいことではない。
だが、温暖を通り越した南のこの地方で、いきなり降り出した雪は、
子どもと犬と、それからシャンクスを大喜びさせたのだ。
 積もるほどの量ではない。
だが、途切れることなく舞い落ちるそれは十分冷たく――





 船長が子どもや犬とあそびほうけている間、有能なる副船長は忙しかった。
船のマストや甲板の点検を指示し、
万が一のための食料や燃料を確かめ、
ベンがやっと宿に戻ってきたときには
凍りづけになりそうな船長殿が待っていたというわけだ。

「寒いーー」
 頬も指も真っ赤にして。

冷え切った体は、火の温もりなどでどうにかなるものではなかった。
ベンは有無を言わせずシャンクスを湯船に叩き込んだ。

 湯船の傍に陣取ったのは、
シャンクスが抜け出さないための見張りのつもりだった。それが……


「どうした?」
 再び声を掛けられ、自分が息を詰めてシャンクスを見つめていたことに気づく。
 ベンは、ほう と息をついた。

「どうもしない…」
 そのはずだった。


    

 目を逸らすベンを、シャンクスはふふんっと鼻で笑う。
「俺は、した!」

 ぐいと開いた足の間を見せつける。
 緩やかに立ち上がったそこは、湯面すれすれに揺れて、ベンの目を釘付ける。


「おまえが、ンなとこで見てるからだ」
「責任取れ」
「俺のせいか」

「そう、ほら、あれだ。オネエチャン達が歌ってたじゃんか。
〜こっそりさしてる入れ墨の薔薇が疼くから
 散らせるのは今だよ〜って」
「そりゃ戯れ歌だ。
 第一、あんた、散らされるようなタマか」

「あーひでー」

 じたばたするシャンクスは盛大に泡と湯を飛ばし、
ベンまで濡らしてくれる。

「他人まで濡らすな」
「他人じゃねぇもん」
 おまえ、俺のふくせんちょーだろ。

 ああ言えばこう言う。我が儘大王な船長殿は、
「何とかしろ、これ」
 いともでかい態度で命令する。



「いいのか……」
「ばーか、俺が来いって言ってんだぜ。良いも悪いもあるかよ」
 盛大な水音とともに引きずり込まれて、
ベンはシャンクスを押し倒す形になった。
それでも、一応自制はしたのだ。

「俺を 試さないでくれ。シャンクス。アンタに試されたら俺は……」

「ばーか、俺がンなめんどくさいことするかよ」
「……そうだな」

 シャンクスは試さない。
気紛れにちょっかいをかけることはあっても。
ころころと言うことを変えて、当惑させはしても。
ベンの心を試したりはしない。
無条件に信じ切って寄りかかる。
その無防備さが、ベンには何よりもありがたい。
こうして手を伸ばしても、突き放される事などない温もり。


「……雪がアンタを冷やしたんなら、熱くしてやるよ」
絶えることなく供給される湯の中から連れだし、
傍らのラグの上に横たえ、揺れて誘うそこをわざと外し、
後ろへと回る。


 挿す
 挿し入れる




 馴らすという目的以上の熱心さで、ベンは味わう。
 ベンの指を拒まないそこ――
 ベンを拒まないシャンクス――
 この行為に痛みがないはずはないのに、いつも彼は笑う。
 ベンに向かって笑いかける。
 吊り上がり気味の目じりが下げられ、
髪と同じ赤い睫毛が縁取る瞳の中、
碧色の虹彩がほんの少し灰色がかって柔らかいものになる。

 ときに、その笑みを見たくなくて、背からのしかかり、
常以上に、ひいやりと冷たい尻を掴むと、両の丘はふるふると揺れる。
 掌の形に印を捺そうとするかのようなベンの動きに合わせて平べったくなる。
 双丘の狭間に唇を寄せれば、なおのこと身を揉む。
逃げられないよう右腕を固定すれば、展翅された蝶にも似て。
その手も足も、思い切り広げたくなる。
 押さえつけられ、身動き取れない状態で背を喘がせるシャンクスは
さながら陸に打ち上げられた魚のように、赤い鰭をはためかせる。
 今だけは――ベンだけを見ている。
ベンのものである赤髪の海賊頭――




 けれど、結局視線を求めてしまうのは、
いつだってベンの方だったりする。
「こっちを見てくれ、シャンクス」

 その瞳が間違いなく己を映しているのを見たい。
シャンクスは引き寄せられ、にぃと笑う。

 赤髪が揺れる。
 重力など無いように浮き上がるそれに口づけ、
ベンは汗で額に貼り付いた一筋二筋を舌で持ち上げて、引っ張るように啄む。
 刺激に反応して、シャンクスの瞼がひくつく。
 それは微妙にシャンクスの裡の動きと連動していて
内と外からベンを慰撫する。




「雪、まだ降ってるな」
「そうか…」
「すごくいっぱい降ってる」
 ……仰向けに横たわったシャンクスには見えても、
ベンからは雪など見えない。目に入らない。
ベンの目の前にあるのは、シャンクスだけだ。
 他には、何もない。
 死、など怖ろしくはない。
この世であれ、あの世であれ、シャンクスがいる所が、己の場――
 怖いのは、怖ろしいのは、シャンクスが己を見なくなること。
路傍の誰かを見るように?
そんな人間ではないと、分かっているのに?


 空っぽだったこの身が、生きているのだと識ったのは、
シャンクスに出会ってからだった。
 この男が注ぎ込んだ生命。染み込ませたエネルギー。
触れているだけで伝わってくる、この温もり。
 
 傍にいるだけで良かった。



 
 それが、触れることを許され、
 その身の奥まで明け渡され、
 その幸運を、ベンは今なお信じ切れないでいる。
 ……もしも、この温もりを禁じられたら……
「アンタが欲しい、とことんまで…」

「いや、か。シャンクス」
 目元は潤んだまま、シャンクスの唇が吊り上がる。

「おまえがよこすもんなら、大概はいいもん、さ」

 シャンクスの裡が、急速に拡がる。
ベンを引き込むように腰をすり寄せてくる。
痛みすら覚えるようなそれに、ベンは身を委ねた。
 耳元に響くシャンクスの声に応えることなく――


 ベン、
 なぁ、ベン。
 俺に挿れて、お前は安らぐのか?
 お前の虚は埋まるのか?


 雪は、翌日には跡形もなく消え失せた。
シャンクスが目覚めたときには、一かけらも無く、

 シャンクスは諦めきれないようで、未練たらしく
日陰になっている箇所を覗き込んでいた。
だが、ベンにとっては幸いだった。
雪になれてない土地で雪が降り続いたりしたら――

「まったくな。
一晩で止んでくれて助かった。
作物の被害も出てないようだし」

 だからといってコレに同意などされたくはないが。
 
 前王といえど、王家の一員ではある。
珍しく馬に乗って現れた尚宣威王は変事の視察に赴いたということになっている。
この国にとっては、雪など大いなる変事なのだ。喜ぶような事態ではない。
 あっさり雪が消えてくれたので、人々も落ち着いてはいる。
だが、降り続けたりしたら―― 
隣国に巨額の朝貢品を送らねばならないこの国の経済は、
あっという間に疲弊し、民の暮らしもまた壊滅的な打撃を受けるだろう。
それを一番よく知っているのは、前王であるこの男だ。


「来たのは、あんた一人なのか」
「ああ、国主殿はじめ諸侯方々、雪見の宴とやらに忙しくてな」
「宴?」
「書物の中でしかお目にかかれぬ雪の日に、徒し事に費やす時間はないそうだ」
 淡々と告げられる言葉に激昂の気配は無く、
ベンもまた、それ以上は何も言わなかった。



「雪、消えちまったなー」
「なー」
 宿の裏手からは、呑気な声が聞こえてくる。
シャンクスと子ども等の声だ。
 思わず顔を見合わせ、苦笑いしてしまう二人だった。

「悪いな。うちの船長は極楽とんぼでな」

 暑いも寒いも雪も雨も風も嵐でさえも、
彼の心を煩わせることはない。煩わせはしない。


「確かに」
 社交辞令など必要ない仲だ。
鳳国、前国主尚宣威王は、あっさりとベンの言い分を認めた。

「遊びをせむとや生まれにけむ 
戯れせむとや生まれにけむ。
ただ生きてあれ、だ」

「あれでいい。
ああいう者達が生きられるように、政というやつはある。
王などというものの存在理由は、それしかない…でな」

「あんた、やっぱり変人だ…」

 他の王族や側近から忌避され排除されるのも無理はない。
政というものを知っている。
何のために王が必要だったのか、
そもそも王とはどういう存在だったのか分かっている王族。
それは、邪魔だったろう。

 この男なら……
シャンクスがどう動こうと動じることなどないだろう。

 ふ…と、よぎる。
 並び立つ二人の姿。

 この男なら……
 シャンクスに振り回されることなく、対等に渡り合えるのかもしれない。
あの男の、太陽のような眩しさにも目眩むことなく……




「迷うか?赤髪海賊団の副船長」

 言い当てられてしまって、唇を噛む。
この男の前では、自分はまだ若造でしかない。
経験値で負ける以上に、場数の種類自体が足りないのだ。
この男の見ている視野の広さもまた、自分にはないものだと認めざるを得ない。
ベンの関心閾は、結局の所シャンクスに関わっているか否かで
自動的に決定されてしまうのだから。

 ふっと尚宣威王は、表情を崩す。
「気に病むことではなかろう」

比べる方がおかしいぞ。
 我と汝とでは、立場が違う。
我は、頭よ。それが他人に左右されてはいかぬだろう。
赤髪の海賊頭がどれほど魅力的であろうとな。
 我の一番は、既に選んである。花と、この島。
 いつかは……
 天候などに左右されず、
異国の王に指図などされず、強き者も力無き者も安らいで生きられるように。
子どもも年寄りも、幸せに笑っていられるように――

「今できることをするだけだ」

 尚宣威王は身軽に馬の背にまたがる。
たった一騎、供すら連れぬ前国主の姿は、
けれど孤独には見えなかった。
 昨日の雪など欠片もない鮮やかな南の陽の下を行く“王”――
 彼もまた、一人であることを懼れぬ者。


「汝も、選択済みであろう?」
 笑いながら言い捨てて行く。



 確かに…
 ああ、確かに!
 俺にとっての一番は常にシャンクスだ。


 サウスブルー
 イーストブルー
 ノースブルー
 サウスブルー
 どの海のどのような位置にいようと関係ない。
 シャンクスの傍らが俺の居場所。



 俺は――ここにいる。
 いると決めた。
 未来永劫、俺の立ち場所は、あの男の左だ。







2004.1.25





☆ けっこうお気に入りの尚宣威王さま。
彼は「選んでしまった者」の揺るぎなさでもって、
ベンをいぢめてますが、けっこう親切者。
ベンのことも気に入ってるからこそいぢめるわけですが、
さて、ベンがそれと気づく日は来るのでしょうか。
 シャンクスが口ずさむ戯れ歌は
ダウンタウンブギウギバンドの「ダウンタウン・エンジェル」です。
最近どっぷり浸かっているもので。つい〜

今回、王サマが副を呼ぶ呼び方がちょっと変わっています。
主=ぬし だったのが、「汝」に。
「汝」=なれ と読みます。
ちょい王サマっぽさを出したかっただけなので、
あまり気にせず、読み飛ばしてください。



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