伝説1 後世山に登る


 後世山からの眺め。ウルメ島、森甚五兵衛の椿泊も見える。

 福井ダムから下原に入る。やがて軽四がやっと通れる細い道になる。行き止まりに家がある。そこに車を停めさせてもらって、後世神社の参道を登る。参道といっても人一人がやっと歩けるような山道である。よく世話された杉林を通ったり、山腹をぐるぐる回るかと思えば尾根に出たり、方角がさっぱり分からない。

 とにかく頂上にある後世神社に到着した。この神社は顕節比売命(あきふしひめのみこと)を祀っている。長曽我部盛親の夫人と言われている。元和元年(1615)、下原谷に迷いこんだ夫人が賊に襲われ供の者達とともに非業の死をとげた。彼女は目が悪く、愛犬・照国を連れていたという。元和3年に土佐の見える頂に祀られた。社の前には愛犬の墓もある。目の神様として知られる。

 長曽我部夫人の後世山伝説は様々な物語があってどれが原型なのか分からない。長刀と鏡3面(その内の1面には長曽我部の紋がある)、系図筒が残されているので、作り話とは考えられていない。

 真新しい石碑に縁起が書いてあって、「‥村人が葬った山は後世山と呼ばれるようになった」とある。しかし、古文書には御前山となっているそうだ。御前山とは、ある集落から見て「最も近くにある大きな山」という意味だ。

 祠の前の狛犬と犬たち
頂にはたいてい山の神(普通は女性)を祀った祠が以前からあったと思われる。また、目の悪い女性が主人公であることから「瞽女山」ではないかという説もある。瞽女は古くは全国にいたそうであり、一概に否定できない。

 別の参道から、登山の服装をした人が登ってきた。犬を連れていた。軽く会釈して、しばらく景色を眺めて去っていった。

 帰り道で迷った。降りる場所の目印を確認していたのだが、なぜか見当たらずどんどん歩いていってしまった。再び引き返して立て札の表示にしたがって無事下山できた。


 石垣に守られて建つ後世神社